シンポジウム

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2008年(平成20年)2月1日

乳製品貿易の拡大とわが国の酪農・乳業

第3講演『これからの北海道と酪農』

酪農学園理事長 麻田 信二 氏

ご紹介いただきました麻田でございます。

私は酪農政策の専門家ではありません。しかし、本日お集まりの、各地域で酪農関係の指導者あるいはリーダーとして酪農産業に対するさまざまな取り組みをしている皆様方に、これからの日本の酪農や農業の方向性といったものについて少しでも参考になる話ができればいいなと思います。皆様方の考え方や取り組みが、これからの日本の酪農、北海道の酪農を大きく変えていく原動力になるものと期待しております。

農業・食料の視点から日本社会のあり方を問う

現在の日本の食料需給率は39%(カロリーベース)です。そして農業者はどんどん減っていく、高齢化も進んでいく、この北海道ですら65歳以上の農業従事者の割合は30%を超えたのです。このような状況をみると、日本社会のあり方が問われているのだと思うのです。

実際、農業が衰退し栄えた国は皆無なのです。ソビエト社会主義共和国連邦がなぜ崩壊したのか。私は『ゴルバチョフ回想録』(新潮社、1995年1月出版)を読んでわかったのですが、ソ連も農業政策、食料自給に失敗したのです。ソ連が崩壊する直前、肉を買うための配給券を持った市民が、長い列で並んで待っている姿がよくテレビニュースの映像で流れました。2時間も3時間も並ぶ。しかし、肉がなかなか手に入らない。この状況が2年くらい続いたかと思います。そしてソ連は崩壊、国が滅んでしまったのです。

最近、"品格"という言葉をタイトルに使った本をよく見かけますが、数学者の藤原正彦さんが書いた『国家の品格』(新潮社、2005年11月出版)という2006年の流行語大賞に「品格」が選ばれた本があります。この『国家の品格』には、品格ある国家の4つの指標を挙げています。その最初に、「独立不羈(どくりつふき=他からの束縛を全く受けないこと。他から制御されることなく、みずからの考えで事を行うこと)」を挙げています。今の日本をみるとアメリカの植民地にさえ思えます。その理由は、食料自給率が40%を切る状況だからです。品格ある国家の条件として、いかにこの食料自給率を上げていくかが大切だということから「独立不羈」が4つの指標の最初に掲げられているのです。それからもう一つ、品格ある国家の指標として挙げられているのが「美しい田園」です。端的にいえば、国を担っていくような才能を持つ人材は美しい田園があるような地域から生まれる、ということがこの本には書かれています。そのようなことも踏まえて、私たちはもっと農業や酪農についてしっかり考えていかなければならないのではないかと思うわけです。

経済格差の拡大と地方の衰退

しかし、私たちは食べ物なくして生きてはいけないわけですから、自給率39%の日本の中でどうやって生きていくかということです。今、日本経済は戦後最長の景気拡大といわれています。しかし、皆さんの生活実感という面では良くなっていると思われる方は少ないのではないでしょうか。先日、2006年のサラリーマンの所得額が公開されました(平成18年 民間給与実態統計調査、国税庁)。日本のサラリーマンは約4,500万人。この平均給与は約430万円です。このうち約1,020万人(23%)が年収200万円以下という状況で、しかもその割合は年々増加しています。要するに個人の所得格差がどんどん拡大しているのです。アメリカも同様です。アメリカでは人口3億人のうち13%に当たる3,700万人が経済的に満足な食事ができない状況といわれています。

このような状況のなかで北海道はどうなのかというと、先日の新聞に、「2007年に北海道から2万人が転出し、これは47都道府県でトップの転出数」だと書いてありました。そしてこれも新聞に載っていたのですが、「この5年間で、北海道の正規労働者は10万人減少し、不正規労働者が3万人増加した」といいます。つまり差引7万人の労働力が減ったことになります。今から5年前、北海道の失業率が瞬間的に8%を超えたことがあり、その後、失業率が改善に向かったのですが、その理由は、実は道外へ労働力が転出してしまったというのが実態です。

農業政策には地域の声を

今、本州では集落崩壊問題が盛んに言われています。北海道でも統計を見ると同様の傾向が出ています。このような状況で日本はどうなってしまうのかと考えたとき、私はいかにして農村を元気にしていくか、農業を元気にしていくか、酪農を元気にしていくかということに尽きると思うのです。今、輸入飼料が高騰して酪農が大変だというのであれば、やはり日本の食料自給率を上げるために野山を活用して食料を作る。人間の食料にならない草を良質なタンパク質に変えていくといったような思い切った方向転換が必要です。そうでないとこの国は衰退していきます。そのことは政治の世界でも同様です。酪農生産者がさまざまな要求を国に出し、政治家がその対応を考えるといった単発的な視点ではなく、もっと時代の流れを見据えた長期的な視点で対応を考える必要があるのだと私は思います。

1961年に農業基本法が施行され、政策的に酪農振興が進められてきました。そして、1999年には新しい基本法(食料・農業・農村基本法)が成立し、品目横断的経営安定対策や中山間地対策など、さまざまな対策がおこなわれてきました。しかし、これらの対策は、いざやってみると不都合が生じるということで改正がおこなわれてきました。いろんな対策が出されますが、これらはもっと現場に合った形でやっていかなければならない。国によって宛がわれたものに地域の農業や酪農を合わせていく方法では、本当に地域のためにはならないのではないかと思います。今、各地域で活躍している担当者の皆さんは、あまりにもおとなし過ぎるんじゃないかという気もします。やはり、声を出さなきゃならないんですね。誰かがなんとかしてくれるだろう、誰かが考えてくれるだろうではなく、現場に合う方法を、現場で考え、現場から声を出していく、ということが必要なのだろうと思います。

しかし、有機農業推進法(2006年12月)の施行は、北海道あるいは農業に対して、今までの農政とは違う希望があると感じています。この法律によって、日本も有機農業といったものに、ちゃんと予算を付けて支援することになってきたのです。健康問題、環境問題、いろんな問題が言われているなかで、持続可能な農業をしっかり国内に根ざしていくという意味では、この法律が果たす役割は非常に大きいのではないかと感じています。

消費者の理解がなければ国内農業は成り立たない

今回の乳価交渉は、本州3円北海道5円の乳価値上げで決着したと聞きます。しかし、この内容について消費者の理解が得られるのだろうかという疑問があります。価格が上昇したら、消費者は買い控えするのではないか…と。今までの酪農政策やさまざまな取り組みは、ただ単に、すべてを供給側からのみ考えてきたという感じがします。コメにしろ乳製品にしろ、今までは国が管理してきた経過がありますから、生産者は国にどんどん要求していけばそれで良いということで、消費者まで考えが至らなかったのかもしれません。

したがって、消費者の動向や需要を見据えることは非常に大切です。日本の食生活もどんどん変化してきました。牛乳・乳製品需要も200万tから1,200万t(生乳換算)まで伸びました。しかし、これからは飲用乳消費も減少すると見込まれています。学校給食も戦後の時代は、"いかに子供たちに栄養を補給するか"という観点で進められてきました。しかし、今では栄養補給だけが目的ではなくなってきました。まだ教育委員会や地域の取り組みはあまり意識転換する様相をみせていませんが、今後はどうなるかわかりません。つまり需要側と供給側では、その意向がかなりミスマッチしてきているのではないかと思えるのです。ですから、このような中で酪農政策というものを考えたときに、指定生乳生産者団体による一元集荷の体制が、消費者の嗜好の変化にうまく対応できるのだろうかということを考えなければいけませんが、業界全体としては、しっかりと需要や生産現場を見ながら管理していくということは絶対に必要だと思います。しかし、その方法のなかにも、もっといろんな工夫が必要だろうという思いで、私は酪農業界をみています。

貿易戦争の行方にあるもの

今年7月に環境問題・地球温暖化をテーマに北海道洞爺湖サミットが開催されます。地球が温暖化になって何が困るのかといえば"水"です。それから食料生産が不安定になるということもあります。そうなると、日本のように海外に61%もの食料を依存しているような国は、まず立ち行かなくなるのです。食料は我々が生きていくうえで無くてはならないものですから、金にものを言わせて買えばいいというものではないのです。そういった意識は日本の生産者にあり、皆さん誇りを持って農業をやっている。しかし、アメリカは違います。大豆、トウモロコシ、どっちを作るかといえばトウモロコシです。それは食料生産ではなくエタノール原料として高く売れるからです。これが大豆の方が高く売れるとなれば大豆を作る。それが食料であろうとエネルギー原料であろうと、儲かればよいと考えるのがアメリカの農家で、消費者や日本が求めようが求めまいが関係ないといった姿勢です。しかし、日本の生産者はそうではありません。このような違いがあるのです。このような面も考えると、やはり日本の食料自給力をいかに高めていくかを、国民総意のもとで考えていく必要があると思っております。

貿易立国である日本が、食料自給率の低下と社会の有り様を考えたときにやるべきことは何か。私は以前から「貿易戦争により、国内農業が崩壊し、日本が滅びる」といつも思っていました。もし農産物を輸入するとなれば、国内農業は壊滅的な打撃を受けるわけです。そしてそれが一度潰れてしまったら、再生できるかと言われればできない。命の糧をすべて外国に持っていかれるということなのです。

イラストレーターを経て、現在、評論家・随筆家として活躍されている橋本治さんが書いた『日本の行く道』(集英社、2007年12月出版)という本があるのですが、この本の中にもかなり食料のことが書かれています。その内容を少し紹介すると、「自分の国でいるものくらい、少しは自分の国で作れよ」という項で、「日本で最大の自動車会社が、アメリカやその他の国に自動車を輸出して、結構な利益を上げています。そんなに利益を上げると、日本の農家が壊滅するのです」と書かれています。これはどういうことかというと、日本がどんどん輸出をすると、そのまま輸出しっぱなしということはありえないわけです。「だったらその分、ウチの国にも儲けさせろよ」ということで、農産物を日本に輸出することになるのです。このようななかでアメリカは次に何を考えているかというと、このことについても先の本では、「(アメリカは)工業先進国のくせに『輸出できる工業製品』がなくなって、『農産物をもっと買え』といい、揚げ句の果ては、『資金を輸出して、儲かっている他国の上がりを取ろう。そうすれば、アメリカは世界一だ』なんていう倒錯した結果になるのです。『ファンド』というものが、二酸化炭素と同じくらい世界をおかしくする迷惑なものになっていることは、分かる人には分かっているはず」と書かれています。

ある雑誌に、世界にどれくらいのファンドがあるのかという記事が載っていました。6兆円の1万倍だそうです。兆の上の位は京ですから6京円です。このファンドによって農産物の先物取引もおこなわれているわけです。現物がないにもかかわらずそれを金で買う、現実ではありえない世界なのです。そうやって日本が貿易によって獲得した外貨が吸い上げられ、アメリカに溜まっていくのです。このような社会の有り様というのは長く続くわけがないのです。ですから、このまま貿易戦争を続けていったら、日本は滅びるということなのです。

北海道酪農の原点を見直す

私は1995年頃、北海道農政部の酪農畜産課長をやっていまして、酪近計画も担当しました。そのとき、いかにして粗飼料自給率を向上させるかを考えました。しかし、道庁が、あるいは農水省が粗飼料自給率を向上させる計画を作っても、これだけはいつも逆の方向にばかり向かってしまいました。

今、日本の食料自給率を高めようとするとき、粗飼料自給率の問題はきわめて重要なのです。家畜は冷害を受けません。人間が食べられないものを、人間の健康のために必要なタンパク質に変えてくれる。資源が無い日本だからこそ、環境問題に配慮しながら、粗飼料自給率向上に向けた取り組みをしっかりやっていく。私は、これが社会全体の動きにならないと日本の将来は危ういのではないかと思うのです。

そして私は、2007年7月から酪農学園の理事長を仰せ付かっております。酪農学園は昭和8年に酪農義塾として創設されました。なぜ酪農学園が設立されたのかというと、酪農家を育成する、あるいは製酪乳業のための人材を養成するという目的だったのです。それ以前はというと大正末期に雪印ができ、さらにその前は、大正2年の北海道の大凶作を機に酪農振興をしようとしたのが、北海道酪農の本格的な始まりでした。この頃は、明治初期に始まった北海道開拓から40年ほど経った頃だったのですが、当時は肥沃な土地を見つけては開墾を進めて作物を作っていました。しかし、作物を作り続けると、どんどん地力が失われていくのです。地力が失われていくとどうなるのか。冷害、凶作をまともに受けるわけです。この大正2年の大凶作は、空知、上川地方の稲作地帯ではコメの1粒も収穫できずに餓死者も出たといわれるほどきわめて厳しい冷害凶作でした。そこで酪農振興を真剣に考え、そして本格的にやり始めたのです。

しかし、大正12年に関東大震災が発生し、その時に海外からいろんな義援物資が送られてきます。その中にバターなどの乳製品もありました。何しろ東京に食べ物が無いわけですから、その状況において海外からの物資に高い関税をかけるのはどうかという議論から関税が大幅削減された。そうなると、安い海外製品によって、高い国内製品が売れなくなる。乳製品も同様で、日本の乳業メーカーは酪農家から牛乳を買えなくなる。そこで酪農家が皆で出資して、自ら加工して販売する目的で設立されたのが雪印なのです。

北海道で酪農振興が本格的になり、雪印ができ、そして酪農義塾ができた歴史。今こそそういう原点に戻って、しっかりとした地域作り、社会作り、農業や酪農の振興をやっていくべきだと思います。ここ2~3年の生乳の減産計画、エサ高、農村の過疎化、あるいは地域の経済格差の拡大といったことを考えると、今がそういった事態を見直すことができる最後の時期に差し掛かっているのではないかと思うのです。ただ単に乳量だけ出れば良いというのではなく、地域全体、社会全体のなかで、農業や酪農がしっかり機能している。それを消費者の応援を得ながらやっていくようにならないといけないのではないかと思うのです。

デンマークをモデルとした国づくりと農業振興を

今、北海道では水田の6割でコメ以外の作物を作っている状況です。ここは余っている水田の生産力を生かして、北海道の酪農振興のために、粗飼料を水田で作る努力を拡大しなければならないと思います。日本人の食生活は戦後からどんどん変わってきました。以前のようにコメと味噌汁と漬物だけという食生活には戻るとは考えられない。ですから山を使い、水田も使って、持続可能な、地域の環境問題をも考慮した酪農や畜産といったものをしっかり根付かせていく必要がある。これを大きく連携しながら、政治家も、自治体も動かしながらやっていく。いかに食料自給率を上げていくか、これは日本の、北海道の最大の課題ではないかと思います。安心して食べられるものを、ちゃんと国内で自給するべきだということが、今、国民が求めていることだと思います。そのことに対する生産者側の声を、農業に携わっている人たちが真剣に、あらゆる機会を通じて、国民一人一人に訴えていくことが必要なのではないでしょうか。

たとえばデンマーク。酪農学園もデンマークの農業をモデルとしながらやっています。ウィスコンシン州で酪農を学んだ、北海道酪農の父と言われる宇都宮仙太郎氏も、やはりデンマーク農法の導入に尽力しました。大正12年には宮尾舜治北海道長官も、いろんな反対を押し切って、デンマークから酪農家を招聘し、酪農を根付かせようとしたわけです。

私は、今もデンマークは確実に北海道や日本の農村のモデルになる国だと思います。デンマークのエネルギー自給率は、現在137%です。しかし、オイルショックがあった1973年のエネルギー自給率はたったの2%だったのです。そしてデンマークのエネルギー計画によると、2030年には風力やバイオガスといった自然再生エネルギーの割合を50%にする計画です。

また、デンマークの食料自給率は300%といわれています。デンマークも過去には非常に厳しい状況が続きました。遡ればドイツとの戦争に負けて、肥沃な土地を奪われてしまったところからスタートしたわけなのです。デンマークは以前、イギリスに穀物を輸出していました。しかし、イギリスはポーランドから安い穀物を輸入し始め、デンマークは窮地に追い込まれました。そこでデンマークは穀物生産から、豚や牛を飼い、畜産による国作りに政策転換していったのです。

現在、デンマークの国民一人当たりGDPは世界第4位です。日本の国民一人当たりGDPは1993年頃には1位でしたが、今では16位まで低下しました(2007年 The World Fact Book、CIA)。資源が何もないデンマークのGDPが世界第4位なのです。ですから私たちは、今一度そのようなことを頭に置きながら活動していくべきだと思います。

今こそ農業・農村を土台とした新たな資本主義経済の構築を

今年に入ってからの株安や、経済の異様な動きを見ていて、私はある本を思い出しました。インドの経済学者であるラビ・バトラという人が書いた、『1995 2010世界大恐慌 資本主義は爆発的に崩壊する』(総合法令、1994年10月出版)という本です。この本が出版されたのは今から14年前ですが、この本には「資本主義は爆発的に崩壊する。しかし、その後には理想の社会が出現する」と書いてあるのです。その理想の社会がどのようなものなのか私にはよくわかりませんが、端的にいえば協同というか、共生というか、そういった社会のようです。

今、どんどん自由貿易が進んでいます。しかし、自由貿易というのは各国の競争をどんどん煽るだけなのです。その結果としてどうなっていくかといえば、コストダウン、コストダウン…。ですから企業は、日本で工場が成り立たなくなると、収支を合わせるために海外に工場を建設するのです。フランスもドイツも同じで、どんどん国外に流れていく。一方、国内でコストダウンのために何をするのかといえば、どんどん賃金を下げること。つまりコストダウンを進めていくと、最終的には賃金に辿り着くのです。その結果、今の日本は戦後最長の景気拡大を続けていながらも、2006年のサラリーマン所得は前年対比マイナス0.4%と、前年割れが続いているのです。

先ほど紹介したラビ・バトラ氏の本には、「自由貿易は国を滅ぼす」と書いてあります。「そうさせないためにはいかに内需を拡大させるかである」とも書いてあります。つまり、いかに自給を高めていくか、そういう社会をつくらなければならないのです。

北海道の景気は悪いですが、この負のスパイラル状態が続くと、北海道の経済はますます悪くなっていきます。その状況のなかで今できることは何かと言えば、農業や酪農を振興して内需を拡大させるしかないのです。黒澤酉蔵先生がおっしゃる、「人間が食べられないものを食べられるものに変えていく酪農」こそ、素晴らしい産業なのです。そして酪農は土も良くする。北海道が酪農振興してきたのも、やはり土を良くしていこうということが始まりだったのです。

"大地を汚すものは国を滅ぼす"ということを、酪農によってしっかり示していくべきだと思います。鉱物資源は必ず掘り尽くされます。しかし土は、耕し、酪農を営んでいけば、養分は蓄積されていくのです。そのことを、我々はもっと大切にしていかなければならないと思います。

農村を復興し、新しい時代を切り拓く

現在の世界情勢や日本の情勢を見たときに、国民の意識を変えようとする私たち農業関係者の行動力が問われているのだと思います。まずは"考える"ということが必要でしょう。国民が求めるさまざまなニーズにしっかり答えていくというスタンスを持つ。つまり国民が求めるものを作ってあげればいいのです。国民が求めるものを作るのにこれだけ費用がかかると説明すれば、国民はちゃんと納得してくれるはずです。我々はそのような精神をもっと大切にしながら、仕組みを構築していくことが大切なのではないかと思います。

そして農村振興を考えたとき、私は農業や酪農はただ単に食べ物を生産するだけではなく、もっと農村が持つ魅力ある資源を活用するべきではないかと考えています。今、農村では、ふれあいファームや酪農教育ファームなどをやっていますが、もっと都会の消費者を受け入れながら、国民に対して農業や酪農そして農村が果たす機能の大切さというものを伝えながら、一緒になって農村社会を作っていくことが求められているのではないかと思うのです。

あるいはこれから先、環境問題は益々重要になっていきます。その状況のなかで農村環境をしっかり守りながら農業や酪農を営んでいく。美しい田園を持続させ、次世代に美しい景観を残す活動のなかで、その結果としてお金が生まれるという仕組みも必要なのだろうと思います。

さらには、それら農村交流や環境保全といった活動によって、新たな雇用の機会ができれば、より多様性が生まれます。もし農村に新たな雇用の場がないとすれば、農村はますます過疎になり、医者もいなくなり、学校もなくなる。そんな環境では、どんな立派な酪農もやれなくなってしまう。ですから、もっと多様な人が住めるような農村を作っていくことが必要で、そのなかで酪農という総合産業が発展していくのが理想ではないかと思います。

ご静聴、ありがとうございました。

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